『雨に唄えば』、それはMGMの歴史のひと幕である。
1924年、3社の合併で設立となったMGMスタジオ。
『レオ・ザ・ライオン』として親しまれるライオンが吠えるロゴは
映画ファンならば、多くの人が知っているだろう。
この映画スタジオの作りだした映画の数々は映画の歴史と言うにもふさわしく
一流のものが目白押し。
良く知る物は「オズの魔法使い」「風と共に去りぬ」
「トムとジェリー」「若草物語」「アニーよ銃をとれ」「ベン・ハー」
などをはじめ、最近では
「ポルターガイスト」「キューティ・ブロンド」「ワルキューレ」など
今も多くの映画を世に生み出している。
そんなMGMを支えたのがミュージカル映画。
そこには二人のダンスの名優がいた。
その名前はフレッド・アステアとジーンケリー。
二人は共演作は少ないものの『ザッツ・エンタテインメント』では
互いの名シーンを紹介しあうなど、終生お互いを尊敬し続ける存在だった。
ケリーのダンスは躍動感に溢れ、アクロバティックな中にも
緻密に計算された素晴らしさがあるとされ、スタントマンを使わない事でも有名であったらしい。
アステアの華麗で洗練されたダンスとはまた違った素晴らしさがあり、
このタイプの異なる2人がいたからこそ、二枚看板と言われたのかも知れない。
そんな中、ミュージカル映画専門のプロデューサーとなったアーサー・フリード
(彼は、半独立の製作集団「フリード・ユニット」を組織、「星の数より多い」と
いわれたMGMのスターたちを自由に指揮した)が、
ナシオ・ハーフ・ブラウンの名コンビで手がけた過去のヒット曲を集め
ミュージカルとして企画することを思いついた。それが『雨に唄えば』の始まりである。
脚本の執筆者は、使用するほとんどの曲が、映画がサイレントからトーキーに移行した頃のもの
だと分かり、映画のストーリーも曲にあわせて『ジャズ・シンガー』(27)の成功によって
トーキーへの移行が始まった1928年頃のハリウッドを舞台に設定した。
またMGMミュージカルの第一作である「ブロードウェイ・メロディー」の製作過程が
本作に反映されているとする解説もある。
映画に登場する何人かのキャラクターは
20~30年代に活躍した実在の有名人をモデルにしているという。
ヒロインのキャシー(デビー・レイノルズ)は、今作が主役デビューとなった当時19歳、
プロのダンサーではなかった為、3人のダンス教師をつけて、毎日7時間から8時間の
ダンス・レッスンを3ヶ月間受けたという話が残っている。
(デビー・レイノルズは、「スター・ウォーズ」のレイア姫、キャリー・フィッシャーの
実のお母さんとしても知られている)
悪声の女優リナ・ラモントを演じたジーン・ヘイゲンは、
役作りのために『ボーン・イェスタデイ』(50) でアカデミー賞を受賞した
ジュディ・ホリディを参考にしたとのこと。
そしてあのシーンの撮影は数万トンの水を使い、セットをくぼませて水溜りを作り、
クレーン撮影でダイナミックなシーンが生まれた。
今でもなお、燦然と光を放つこの作品だが
当時の批評家は今作をあまり高く評価せず、アカデミー賞の作品賞にもノミネー
トされなかった。
しかし、60年代からのテレビ放映と74年に公開されたMGMミュージカルの集大成
『ザッツ・エンターテイメント』のヒット(映画の冒頭で「雨に唄えば」が紹介されている)
によって『雨に唄えば』の再評価が高まり、現在では
ミュージカル映画の最高傑作として知られている。
出典:wikiをベースに以下のサイトも参考にしました
wiki「雨に唄えば」
素晴らしかき哉、クラシック映画
懐かしの映画館 近松座
「雨に唄えば」IMDbトリビア
This entry was posted on 日曜日, 4月 11th, 2010 at 7:26 AM and is filed under 第3回シティライツ映画祭ブログ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed.
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